歴代アカデミー賞(1)映画の黎明期を彩った12の名作―1920年代から1930年代

文化・芸能

映画界における最高の栄誉、アメリカアカデミー賞。その歴史が幕を開けた1928年は、サイレント映画からトーキー映画への移行期にあり、映画産業の技術革新が目覚ましい時代だった。

アカデミー賞の開設により、映画は娯楽の枠を超え、芸術としての地位を確立していった。1920年代後半から1930年代にかけての受賞作には、戦争や愛、社会問題などを題材にした名作が並び、後世に残る映画の金字塔を打ち立てている。

映画史を振り返る「シリーズ・歴代アカデミー賞」。第1回の本記事では、アカデミー賞の黎明期を彩った12の作品賞受賞作を時代背景とともに紹介する。初期の名作たちがどのように映画界に影響を与えたのかを、映画ファンならぜひ知っておきたいエピソードとともに解説する。

1920-30年代のアカデミー作品賞

第1回(1928年度)『つばさ』

アカデミー賞初代の作品賞受賞作『つばさ』は、第一次世界大戦を背景にしたサイレント映画(無声映画)の傑作だ。監督は元パイロットで戦争の現実を知るウィリアム・A・ウェルマン。主演はクララ・ボウ、チャールズ・ロジャース、リチャード・アーレンで、三角関係を中心とした友情とロマンスが描かれる。後にオスカー俳優となる若かりしゲイリー・クーパーが出演する1シーンも見所のひとつ。

この映画は、特に空中戦のシーンが革新的だった。戦闘機のリアルな動きや視覚効果が観客を圧倒し、戦争のスリルをリアルに伝えた。また、当時の映画技術として初めてキスシーンに横からスライドする「ドリーショット」を使用したことで知られている。『つばさ』は、映画が単なる娯楽以上の芸術であることを示した記念碑的作品となった。

第2回(1929年度)『ブロードウェイ・メロディー』

トーキー映画(映像と音声が同期した映画)として初めて作品賞を受賞した『ブロードウェイ・メロディー』は、ミュージカル映画の先駆けとして映画史に残る作品だ。監督はハリー・ボーモント、主演はアニタ・ペイジとベッシー・ラヴの姉妹役が魅力的だ。

物語は、ニューヨークのブロードウェイで成功を目指す姉妹の奮闘を描きつつ、音楽とダンスが織り交ぜられている。当時の観客にとって、映像と音楽が一体となったこの映画は非常に新鮮で、トーキー映画の可能性を広げた。また、ダンサーの動きに合わせたリズムや音響技術の工夫も話題を呼んだ。ミュージカル映画の未来を切り開いたこの作品は、現在もその歴史的価値が高く評価されている。

第3回(1930年度)『西部戦線異状なし』

エリッヒ・マリア・レマルクの反戦小説を原作にした『西部戦線異状なし』は、ルイス・マイルストン監督による戦争映画の傑作。主演のルー・エアーズが演じる若い兵士ポールの視点を通じ、戦争の無意味さとその悲惨な現実を描いた。

この映画では、当時としては斬新なロケ撮影や特殊効果が用いられ、臨場感のある戦場シーンが観客を圧倒した。特に、敵味方関係なく死んでいく兵士たちの姿が、戦争の無情さを突きつける。社会的にも大きな反響を呼び、戦争映画が社会問題を提起するメディアとしての役割を果たし得ることを証明した。

第4回(1931年度)『シマロン』

ウェズリー・ラッグルズ監督が手掛けた『シマロン』は、アメリカ西部開拓時代を舞台にした米国史を綴ったドラマ。主演のリチャード・ディックスとアイリーン・ダンは、それぞれ土地に夢を託す夫婦を演じた。

映画の舞台は19世紀末のオクラホマ州。大規模な土地争奪戦「グレート・ラン」のシーンは、5,000人のエキストラを動員して撮影され、その壮大さは観客を圧倒した。また、女性の社会進出やアメリカン・インディアン社会を描写するなど、ハリウッド映画における社会派映画の可能性を広げた作品としても評価されている。

第5回(1932年度)『グランド・ホテル』

エドマンド・グールディング監督が手掛けた『グランド・ホテル』は、ハリウッド黄金期を象徴する群像劇だ。グレタ・ガルボ、ジョン・バリモア、ジョーン・クロフォードといったスターたちが共演し、華麗なキャストが映画の魅力を引き立てた。

舞台はベルリンの高級ホテル。宿泊客たちのそれぞれの物語が交錯し、愛、裏切り、夢破れる瞬間が描かれる。脚本の巧妙さとスターたちの競演が観客に深い印象を与え、オールスターキャストによる映画の可能性を示した作品となった。

第6回(1933年度)『カヴァルケード』

『カヴァルケード』は、フランク・ロイド監督が手がけた叙事詩的な作品で、20世紀初頭のイギリスを舞台に、ある一家の視点から時代の移り変わりを描いた。主演はダイアナ・ウィンヤードとクライヴ・ブルックで、平凡な家族が歴史の波に翻弄される姿をリアルに演じた。

映画では、タイタニック号の沈没や第一次世界大戦といった出来事がドラマの背景として登場し、歴史の大きな流れの中で個々の人生がいかに影響を受けるのかを浮き彫りにした。特に家族の絆と喪失感をテーマにした物語は、当時の観客に深い感動を与えた。映画が単なる娯楽ではなく、歴史を共有し、記憶をつなぐ役割を果たせることを証明した作品だ。

第7回(1934年度)『或る夜の出来事』

『或る夜の出来事』は、フランク・キャプラ監督によるロマンティック・コメディで、クラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールの軽妙な掛け合いが観客を楽しませた。映画は、駆け落ちを計画する富豪令嬢と彼女を追う新聞記者の恋愛を描きながら、旅を通じて二人の関係が変化していく様子をユーモラスに表現している。

この作品は、アカデミー賞で主要5部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚本賞)を独占した初の映画として映画史に名を刻んだ。特に、クラーク・ゲーブルがスプーンを使わずにニンジンを食べるシーンや、毛布で二人の間に仕切りを作る「恥の壁」のシーンは、映画史上でも象徴的な場面として語り継がれている。

第8回(1935年度)『戦艦バウンティ号の叛乱』

『戦艦バウンティ号の叛乱』は、フランク・ロイド監督が手掛けた海洋冒険映画で、主演にはチャールズ・ロートン、クラーク・ゲーブル、フランチョット・トーンが名を連ねている。18世紀末に実際に起きた叛乱事件を基に、厳格な船長とそれに抗う乗組員たちの対立を描いた作品だ。

特に、チャールズ・ロートン演じる船長ブライの冷酷な統率ぶりと、クラーク・ゲーブル演じるフレッチャー・クリスチャンの熱い正義感の対比が観客を引き込んだ。広大な海と人間ドラマの緊張感が融合したこの映画は、視覚的にも物語的にも壮大なスケールを持つ作品として高く評価された。

第9回(1936年度)『巨星ジーグフェルド』

『巨星ジーグフェルド』は、ロバート・Z・レナード監督が実在の興行師フローレンツ・ジーグフェルドの波乱万丈の人生を描いた伝記映画。主演はウィリアム・パウエルがジーグフェルドを、マーナ・ロイがその妻ビリー・バークを、ルイーズ・レイナーが元妻のアンナ・ヘルドを演じた。

この映画の特徴は、豪華絢爛な舞台シーンだ。実際のジーグフェルド・フォリーズを再現したセットや衣装の華やかさが観客を魅了した。ストーリーでは、興行師としての成功の裏にある苦悩や失敗も丁寧に描かれ、人間ドラマとしての深みも評価された。ルイーズ・レイナーはこの作品で助演女優賞を受賞し、アカデミー賞史上初の連続受賞(翌年『大地』)を果たしたことで注目を集めた。

第10回(1937年度)『ゾラの生涯

1937年公開の『ゾラの生涯』は、社会派映画の先駆けとして評価される伝記映画である。フランス文学を代表する作家エミール・ゾラの生涯と、彼が闘ったドレフュス事件を描き、正義と言論の自由の重要性を訴えた。主演のポール・ムニは、ゾラの文筆家としての情熱と社会的責任を重ね持つ姿を熱演。助演男優賞を受賞したジョゼフ・シルドクラウトが演じる冤罪の犠牲者アルフレッド・ドレフュスの内面的葛藤も見どころだ。

当時のフランス社会を忠実に再現した歴史的描写とともに、権力の不正に立ち向かうゾラの姿は、1930年代の世界的な政治的不安を背景に強い共感を呼んだ。10部門にノミネートされ、作品賞、助演男優賞、脚本賞の3部門を受賞。この作品は、映画が娯楽だけでなく社会的メッセージを発信できる力を持つことを証明し、後の社会派映画に大きな影響を与えた。ゾラの「私は弾劾する」との叫びは、時代を超えて観客の心に響き続ける。

第11回(1938年度)『我が家の楽園』

『我が家の楽園』は、フランク・キャプラ監督による人間ドラマで、ジェームズ・スチュアートとジーン・アーサーが主演を務めた。映画は、個性豊かな家族が織り成す騒動を温かみとユーモアで包みながら、幸せの意味を問いかける物語だ。

大恐慌時代のアメリカを舞台にしたこの映画は、物質的な豊かさよりも精神的な充足を重視するメッセージを込めている。社会が経済的に困難な時期にあっても、笑いと愛を忘れない家族像が、多くの観客に希望を与えた。

第12回(1939年度)『風と共に去りぬ』

『風と共に去りぬ』は、ヴィクター・フレミング監督がメインを務めた歴史的大作で、主演はビビアン・リーとクラーク・ゲーブル。アメリカ南北戦争を背景に、スカーレット・オハラの愛と成長を描いた壮大なドラマだ。

豪華なセットや衣装、テクニカラーの鮮やかな映像美が観客を圧倒し、当時の映画制作の最高水準を象徴する作品となった。ビビアン・リーの力強い演技は、スカーレットの複雑な感情を見事に表現し、主演女優賞を獲得した。また、この映画はアカデミー賞で8部門を受賞し、映画史における金字塔として語り継がれている。

1930年代のハリウッドスターたち

1930年代のハリウッドは、サイレント映画からトーキー映画への転換期にあたるが、これらのスターたちは新しい映画技術を活用し、映画産業の成長を推進した。また、彼らの個性的な演技スタイルとカリスマ性は、ハリウッドのスターメイキングの土台を築き、現在でも映画史を語る上で欠かせない存在である。

1930年代のスターたちは、映画をただの娯楽以上のものに押し上げ、芸術としての映画の可能性を示した。彼らの功績を振り返ることは、映画が持つ普遍的な魅力を再確認することでもある。

クラーク・ゲーブル (1901-1960)
「キング・オブ・ハリウッド」と呼ばれた大スター

クラーク・ゲーブル

画像引用:wikipedia

クラーク・ゲーブルは、1934年に『或る夜の出来事』で主演男優賞を受賞し、当時のロマンティックコメディの基盤を築いた。この作品は、アカデミー賞の主要5部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚本賞)を独占した初の映画でもある。ゲーブルの魅力は、野性的でありながら知性を感じさせる演技にあった。1939年には『風と共に去りぬ』でレット・バトラー役を演じ、不朽の名作にその名を刻んだ。

彼のスタイルと存在感は、男性的な理想像として当時の観客から絶大な支持を受け、ハリウッドの男性スター像を確立した。

ベティ・デイヴィス (1908-1989)
演技派女優の先駆者

ベティ・デイヴィス

画像引用:wikipedia

1930年代を代表する女優として欠かせないのがベティ・デイヴィスである。1935年には『悪女の如く』で主演女優賞を受賞し、その大胆な役柄とリアリティあふれる演技で映画業界に新風を巻き起こした。その後も『ジュザベル』(1938年)で再びオスカーを受賞。彼女の演技は、従来の「美しさ」に偏重していた女優像を覆し、演技の深みを重視する流れを作り出した。

特に、1930年代末にはワーナー・ブラザースとの契約問題で裁判を起こし、ハリウッドにおける俳優の権利を主張したことでも知られる。

ジェームズ・キャグニー (1899-1986)
ギャング映画の象徴的存在

ジェームズ・キャグニー

画像引用:wikipedia

ジェームズ・キャグニーは、1930年代に隆盛を迎えたギャング映画でその名を馳せた俳優だ。代表作『民衆の敵』(1931年)では、タフで大胆なキャラクターを見事に演じ、アメリカの大恐慌時代の観客に強い印象を残した。その後も、踊れるギャングスターとしてミュージカル映画でも活躍。1938年には『陽気なリズム』でその多才ぶりを示し、幅広い役柄を演じ分ける俳優として評価を確立した。

キャグニーの演技スタイルは、瞬発力とエネルギーに満ちており、後の映画俳優たちに大きな影響を与えた。

グレタ・ガルボ (1905-1990)
「神秘の女」と称されたスウェーデン生まれの女優

グレタ・ガルボ

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グレタ・ガルボは、1930年代のハリウッドにおける最も神秘的な存在の一人だった。彼女は、『アンナ・クリスティ』(1930年)でトーキー映画に進出し、「ガルボが喋った!」というキャッチフレーズで大きな話題を呼んだ。その後も『グランド・ホテル』(1932年)や『アンナ・カレニナ』(1935年)などの名作で世界中の観客を魅了した。

ガルボはその後、1941年に映画界を引退し、隠遁生活を送ったが、その存在感は後世の映画史においても燦然と輝いている。